君子の交わりは淡きこと水の如し

明けましておめでとうございます!!

そういえば僕のブログってあんま季節感ないっすよね。。。。(´・ω・`)

いや別に、これからすごい季節感出していこうとは思ってないすけど

ふとおもいました。。。。笑


という事で、今回のお題です。

君子の交わりは淡きこと水の如し

。。。。別にすごい強い必殺技とかじゃないですよ(´∀`*)

なんか、ジャンプコミックの拳法とかにでてくる必殺技みたじゃないっすかw

奥義“君子の交わりは淡きこと水の如し!”(`・ω・´)キリ!

みたいな 笑。。。。。

おっと、またあんまふざけ過ぎてるとおこらちまうぜ。Σ( ̄。 ̄ノ)ノ


でですね、この言葉は「荘子」の「山木篇」に出てくる一節で、

この言葉の後にはこう続きます。

小人の交わりは甘きこと醴の如し


すごく要約してしまえば

物事をよくわきまえた人の交際はサラサラとした水のようで

一方、つまらぬ小人物の交際は、まるで甘酒のように甘く、

ベタべタした関係であり、一時的には濃密のように見えても、

長続きせず、破綻を招きやすいものだ。

となります。


この一節は別にスピリチュアルの専門用語でもなんでもありませんが、

なんだかすごくいい言葉だなと思ってブログにあげました。


スピリチュアル的にも、小我な学びの少ない付き合いというのは、共依存の関係だったり、

それが、恋愛関係になると、色情因縁と言って学びが少ないのです。


肉体の繋がりを持った家族と言えども、共依存関係には十分なり得ます。

俗に言う、親離れ 子離れ出来ていない人の事ですよね。


肉体的に血の繋がりがある家族と言えども、魂的には自立していなくてはなりませんせし、

依存関係にある親子 夫婦は当然学びが少なくなってしまいます。

友人、恋人、親子、夫婦。。。。どんな関係だとしても、僕ら生命体は1つの

グループソウルを持った自立した御霊でなくてはならないのです。


自立した存在だからこそ、他者に対して、愛ある行為を遂行できるわけですね。

しっかりと御霊として自立し、お互い愛を持って行動する事。

甘酒のようにベタベタとした関係ではなく、水のようにサラサラとした関係で

ありながらも、他者に対する敬意と慈愛を持って接する事。


スピリチュアル的に意訳するとこんな感じなのかもしれません。


それにしても昔の人はいい事を言うもんですね( ´∀`)

おぉ。珍しくちゃんとまとまった 笑

年始早々幸先がいいぜ!!


と言う事で今日も皆様にとって良き学びの日となりますよう祈っております。


中国の歴代の賢人ってなんでみんな、こんなヒゲ生やしていたんやろか?(´・ω・`)

昔の中国ではこれがオシャレだったんでしょうか?w




翔哉のblog

スピリチュアルカウンセラー翔哉の、何となくスピリチュアルな日々のブログです。

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